前回、書いた記事に補足。
けっこう本質的な話なので別記事に分けて書いた。
「ローソク岩ⅠⅡⅢ」、このエリア、まだルート開拓の余地が残されているらしい。
たしかに巨大な岩塊の割りにルート数は少ない。
通常、ルートを開拓するには地元の自治体、個人所有地なら地主などとの折衝が必須だ
けど、そういった雑事もすでに済まされている事から、ルート開拓に挑戦するにはとても良
い条件なのではないだろうか。
クライミングの醍醐味のひとつには新たなルートを築くという要素もある。
いやむしろそれこそがクライミング本来の持つ冒険的要素だと思う。
ちょっと分かったような事を書いてしまうけど、かつて世界中に未踏のピークが数多くあっ
た頃、それら未踏のピークに辿り着く事こそが登山家、冒険家の野心、知的好奇心を満
たす冒険的要素だったはずだ。
そしてそれらの要素は次第に変遷して、ほぼすべてのピークが踏破された後、今度はど
のようなルートを辿って目指すピークに辿り着くか、あるいはどのようなスタイルで辿り着
くかという概念が生まれて来た。
ここで話は戻るけど、それはフリークライミングにおいても脈々と流れている概念だと思う
。(ピークの大小、物理的概念(ルートの終了点は必ずしも物理的に山や岩の頂点では
無く壁の途中にある残置支点だったりするので。)は変われど、クライミングとはそもそも
目指す頂へ登る行為だし。)
初めて岩に触りクライミングの楽しさを知る。
一応のひよっこクライマーになれて来たら、長めのランナウトなどのぎりぎり感をクライミン
グの醍醐味として楽しめるようになる。(なんか楽しくなって来る。)
マルチピッチで長いルートの登攀を行なう。(とても楽しくなってくる。)
クラックなどの残置プロテクションの無いルートに自分でナチュプロでプロテクションを作り
ながら登攀する。(岩依存症になって来る。)
などなど、これらの成長を経てある程度高いグレードを登れるようになり、(実際に高いグ
レードを登れないと高いグレードを開拓出来ない。)多くの質の高いクライマーと関わりを
持ち、クライマーとしての研鑽を積めば、その後、開拓という行為を行ないたくなるのがク
ライミング本来が持つ、冒険的要素の帰結なのだろう。